マルコ 8:24 人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります。
イエス様はベトサイダという村で、人々に連れてこられた目の不自由な人を癒されます。人々は「この人に 触れていただきたい」と願います。イエス様はその人の目に唾をつけ、両手をその人の上に置かれました。そして「何が見えるか」とお聞きになったのです。彼は「人が見えます」と答えました。イエス様の癒しによって「人との接点の回復」がなされた奇跡が、見えるようになった奇跡と同時に起こったのです。
大手企業の会長さんがインタビューで次のように語っていました。「長時間勤務すれば仕事の生産性が上がるわけではありません。限られた時間内にどれだけ密度の濃い仕事をしたかです」と。もっともなことだと思いました。しかし、そこからがこの会長さんの言いたいことです。「だから、会社一色に染まらず、週末はきちんと休んで、自然、芸術、文化に触れるとか、たくさんの興味をもって人に出会うことです。人に接することです。すべての原点は人なのです」と。また「人と接することから生まれる感動や感謝の気持ちが、人を動かすのです」と。
癒された人は「歩いているのが分かります」といいました。まず人の歩く様子に関心をもったのです。彼にとって自分で歩くことへもつながった出来事かもしれません。イエス様の奇跡は人を人とすることですし、人と接することによってそこに「感動」「感謝」「感激」そして「救い」が生まれてくるのです。