ヨハネ 19:28 イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。
イエス様は十字架上で7つの言葉を残されました。その6つ目の言葉が「渇く」という言葉です。このたった一言の意味は何でしょうか。なぜ神様のみ子が「渇く」のでしょうか。十字架の上で残されたこの短い言葉に神様の御心が現れています。
よく現代人は渇いていると言われます。しかし、何に渇いているのでしょうか。自分の生活でしょうか。生き方でしょうか。精神に、信仰に、そして愛に渇いているのでしょうか。しかし、すべては自分のこととして渇いていることに気がつきます。自分の渇きを自分で潤すことはできません。のどの渇きを癒すには水がひつようなように、自分の渇きにも外なるものが必要なのです。
イエス様も『渇く』といわれました。イエス様は何に渇かれたのでしょうか。自分の苦しみのためでしょうか。十字架の苦難ゆえの渇きだったのでしょうか。それも違います。そのあとの聖句には「聖書の言葉が実現した」と福音書は記しています。これは救いの完成の言葉だったのです。神様の救いの業がこの『渇く』という言葉に集約されたと言えます。イエスは私たちのために「渇き」を体験されまました。それは私たちの救いのためだったのです。私たちの「渇き」を癒すのは、十字架の愛しかないのです。