ヨハネ 2:25 イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである。
エルサレムにいた多くの人々は、イエス様がなさった業をみて「イエスの名を信じた」ました。しかし、イエス様は彼らを信用されなかったと書かれています。ここに「信じる」という意味の「信仰する」と「信用する」とが巧みに使い分けられています。人間はイエス様を信じた、しかしイエス様は人間を信じなかった。きっと、「信じる」というときには「従う」ということがあってはじめて完成するからだと思います。人々は奇跡や業やしるしを信じたのであって、イエス様に従うことはしなかったのです。「人間の心の中にある何か」を見抜かれていたのです。
新任牧師補研修会で信徒の方が次のような話をされました。「普段会社では、新しい上司がやってくると部下は3日でその人を見抜くものです。しかし上司は部下を知るには3カ月かかります。新任の牧師先生は教会員のことを知ることから始めてください。ゆっくりでいいですから」と。その話を聞きながら、自分を反省しました。知られている存在だと意識して働いているか。どのように見抜かれているかを点検し、自分を省みることの大切さを感じたのです。
イエス様は私たちのことをよく知っておられます。それは私たちの隅々まで、大きな賜物から小さな罪まですべてです。それを知った上で、私たちのために十字架にかかって死んでくださったのです。