ヨハネ 7:51 我々の律法によれば、まず本人から事情を聞き、何をしたかを確かめたうえでなければ、判決を下してはならないことになっているではないか。
ファリサイ派の人々は、群衆の中にイエス様の言葉を聞いて信じるものが多くなったのをみます。その後、イエス様をとらえようとして下役たちを遣わしています。しかし下役たちは逆にそのみ言葉に感動しイエス様を捉えずに帰ってきました。ファリサイ派の人々は怒り「律法を知らない者たちは呪われている」とまで言っています。それに対し、イエス様に出会ったことあるニコデモ(ファリサイ派の議員)の言葉が今日の聖句です。まず本人から事情をきくこと、受け止めることを提案したのです。
JR東の現会長の言葉に次のようなものがありました。「お客さまがお寄せになるご意見は、非常に有効なマーケティングツールになる」。これはおおく寄せられる苦情をどう受け取るかだと思います。ネガティブな要素から目をそらせば一時はやり過ごすことができます。しかしこの言葉はこのように続いています。「正面から受け止め、『お客さまのおっしゃることに一理あるな』と思えば、そこにサービスの充実をはかるヒントがあるものです」。この「相手の言うことに一理あるな」と受け止めることで、次の成長につながるのでしょう。しかし「一理ある」と受け止めることは大変なことです。作家の石川達三は「相手にも正義があるということを認めない限り議論など成り立たない」と書いていました。
ファリサイ派の人々はニコデモの提案を退けています。自分の考えに固執して「ガリラヤから預言者はでない」という考えで、イエス様を受け止めることができませんでした。「一理ある」と受け止めることはなんと大変かなと思います。しかし大切なおことだと言えます。