マルコ 5:30 イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。
イエス様がガリラヤ湖のほとりにおられると、大勢の群衆が集まってきました。イエス様の御言葉や奇跡に触れた人々は、その噂をききつけてやってきたのです。群衆の中には、病人や悪霊に悩ませられている人々もいました。その大勢の中に12年間も出血の止まらない女性もいました。彼女は群衆にまぎれこみ、せめて「この方の服にでも触れれば」癒していただけるとの信仰をもってイエス様の服に触れました。イエス様はこの大勢の群衆の中でおこった、一瞬の小さな出来事に気づいておられます。
日曜日の朝はやく次女から電話がありました。彼女から電話がかかってくることは珍しく、要件はいったいなにかなと思いました。すると、「今朝の朝刊にお父さんたちの記事をみつけた」というのです。いま、パレスチナで分離壁建設のためにイスラエルが倒したオリーブの木を広島でパンフルート(パンの笛)に再生し、コンサートをするプロジェクトを進めています。今回フラワーフェスティバルのステージで演奏することになり、その取材を中国新聞から受けていました。朝はやくに次女が新聞でその記事をみつけたのでしょう。家族はまだ寝ていたようですが、一番に教えてくれたのです。新聞に紹介されたのも嬉しい出来事でしたが、次女が「このわずかなことを気にかけてくれていた」のがもっと嬉しいできごとでした。
イエス様は「わたしの服に触れたのは誰か」と、その人を探しておられます。大勢の群衆が押し迫っていたにもかかわらず、たった一人を気にかけておられるのです。ちょっとしたわずかな出会いを見逃さず、その人に関わっておられる。このちょっとしたわずかな出来事に思いを向けることができるかどうか。つねに心のアンテナを隣人にむけていられるかを問われています。