ルカ 22:51 そこでイエスは、「やめなさい。もうそれでよい」と言い、その耳に触れていやされた。
イエス様はゲッセマネでの祈りのあと、ユダの裏切りによって捕えられます。そのとき人々は、手に剣や棒を持ってきたと書かれています。その時、イエス様と一緒にいたある人が、大祭司の手下の耳を切り落としてしまいます。ところがイエス様は「もうそれでよい」といって、耳に触れて癒されたのです。「もうそれでよい」という深い思いとみ心が、耳に触れるということによってこの人に伝わったのです。聖書にこの言葉が記されている意味を思います。
AVACO主催「第61回キリスト教視聴覚教育講習会」の講師をしました。私に与えられたテーマは「子ども伝えよう!聖書の話」です。幼稚園・保育所での礼拝説教の作り方・用い方でした。まず「教えること」と「伝えること」の違いを自己紹介でやってみました。自己紹介できちんと自分を伝えることができれば、子ども説教も大丈夫だという意味でもあります。やり方は2人組になって、初めに普通の自己紹介をします。次に手をつないでの自己紹介をやってみたのです。面と向かっての言葉だけより、手をつないで自己紹介をする方が、その人自身と心が伝わっていくのです。簡単にいえば、握手しながら自己紹介したほうがより親密になれるというわけです。神様のみ言葉も、こどもたち自身に触れるように語る事を考えたのです。
イエス様は人々の病を癒される時、その人に触れられたことが記されています。み言葉だけでも癒すことができるはずですが、触れておられることに大きな意味があります。この心に届く言葉とは、み言葉によって心に触れることではないかと思います。私たちの言葉も、心に触れる言葉であることを考えてみたいものです。