2コリ 8:14 あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いがとれるのです。
コリントの人々の間で、募金が中止された理由の一つに不公平感がありました。コリントの人々の労苦の成果である募金で、エルサレムの人々が楽をするのではないかという反対があったのです。パウロはその意見を打ち消し、もっと寛大な視点から「平等」(釣り合い)という考えをのべています。コリントの人々はいま繁栄、裕福の中にいます。しかしいつかは立場が逆転するときがくる。そのような大きな視点にたって平等を訴えているのです。
マカオのカジノで、ある人に聞いた話があります。「スロットで1年に1回くらい何十億という大当たりがでる。しかし、大金を得た人は必ず次の日に天に召される」と。その人がいうのは、神様は人間にはみな平等にお金の袋を与えている。それが満杯になったとき、神様は人を天に召される。だから入ったお金を使うことで金の袋は一杯にならない。そんな人は幸せな人生をおくり長生きする。しかし、使わないでいると袋は一杯になりすぐに天に召される。大当たりすると、袋はすでに一杯になっているので天に召されると。だから毎日カジノで使っているという笑い話です。これを聞きながら、神様からいただく恵みは、隣人のために使えばもっと幸せになるのにと思いました。ただ神様は平等に与えておられるということは本当です。
パウロは「釣り合い」といいました。神様の大きな計画からみると、すべては釣り合いが取れているものだと言えます。いまの困難はのちの祝福をえるためという言葉もあります。一時的なものだけを見ず、おおきな視点に立っていまなすべきことを考えて行きたいと思います。