2コリ 9:7 各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。
パウロは、9章でも募金活動再開を再度呼びかけています。しかし、内容は8章とは少し違います。マケドニアの人たちのようにではなく、コリントの人々には「誇り」と「恥」という感情に訴えています。募金をするというのは、集団としての行いですが、それに参加するかどうかは個人の意思だというのです。しかも施しも多ければ恵みも大きいとのべています。「喜んで与える人を神は愛してくださる」と勧めています。
広島教会にいた時、85歳を超えた老夫婦に洗礼を授けました。奥様はすでにホームに入っておられましたが、子どもたちの信仰をみて自分も神様に従う道を選ばれたのです。すると奥様が洗礼を受けたのなら、御主人も同じ道を進むことを決心されました。天に召されるまで別々の生活でしたが、いまは神様のもとで一緒におられることでしょう。ご夫婦の特徴は「なんでも半分こ」でした。戦中戦後の広島で苦しい生活をされていたとき、お二人で決められたそうです。ですからホームにいても最後まで食事もおやつも半分だけ残されていたそうです。全部食べるように勧めても、半分ずつ食べるのが喜びだと言われました。分かち合うことで祝福があるのだと。
パウロは「不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい」といいます。そこに「喜んで」という言葉を付け足しています。神様からいただく恵みは、分かち合う、与えることでおおきな喜びを生みます。その喜びを神様は祝福してくださるのです。自分だけがと言う考えを捨てて、他者との関係を常に考えることができる人には、いつも「喜び」があると思います。