ヨハネ 4:38 あなたがたが自分では労苦しなかったものを刈り入れるために、わたしはあなたがたを遣わした。
本日の聖書は何を語っているのでしょうか。イエス様の伝道の結果を弟子たち(教会)が刈り取っていると説明されてきました。しかし、この部分の後を読んでいくと「他の人々」という言葉がでてきます。ということは、他の弟子たちの伝道の収穫を刈り取っていると読めます。だとすると、伝道の業は総力戦であり、わたしたちは多くの人々と共働しているのです。
「教会は、宣教困難な時代にあります」という話をよくききます。それを聞くたびに、なにがそんなに困難なのか具体的なことは聞こえてきません。目にみえることは、急速に教会の力が衰えてきているということです。これといって目立ったプランもなく、目標が曖昧で、何をすればいいのかということもなく、ただただ数が減っていくのを眺めているのが現状かもしれません。
そろそろ、過去の遺産と別れなければいけません。たしかにキリスト教ブームがありました。私達の教会も、あのキリスト教ブ-ムの遺産に頼っているのが現実です。ということは、種をまいてこなかったのかもしれません。そんなことはない、と反発を受けるかもしれません。ならばどうしていまの教会があるのかと問いたいのです。ゆっくり考えると、種を捲いてきたのに刈り入れてこなかったのです。種を捲くばかりで、もし刈り入れがなければ収穫もありません。目を上げて見よと、イエス様は言われました。根本から教会を問い直してみたいものです。