ルカ 12:48 すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される。
イエス様のたとえ話のひとつ「目を覚ましている僕」の結びの言葉です。簡単にいえば、この世の終わりの時がいつきても、常に心を備え、目をさまして待ちなさいということです。主人が宴会からいつ帰ってくるかわからない。それが真夜中であっても、目を覚まして待っているのを見られる僕は幸いだと言われます。この話の後で、イエス様は弟子たちにとって、何が忠実で、賢いことかを教えられています。そこで、神様から厳しい裁きを受けるのは「主人の思いを知りながら何も準備せず、あるいは主人の思い通りにしなかった僕」であると言われました。
被災地に入るとき「信頼」ということを考えさせられました。私たちの救援活動はあくまでも県外からやってきた活動で、その土地の人からみると「外」からくる存在です。そんな私たちが被災地で活動させていただくには「信頼」されることがもっとも大切なことです。同時にルーテル教会支援活動は、世界(LWF)から多くの援助を与えられております。世界に対しても「信頼」が必要です。信頼して与えられた多くの支援には、多くのものが求められます。また、被災地で信頼され任された多くには、さらに多くを要求されます。どこまでやれるか。どこまでやるか。そこの基本にあるのが「信頼」ということです。いまそれを石巻で与えられようとしています。
イエス様は「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される」と言われました。よく考えてみると、これは大きな祝福だと思います。神様が私たちを信頼して与え、任せてくださっているのです。それに忠実に応えていくことが信仰者の生き方です。多く求められること、更に多く要求されることも信頼あってこそ。それを無駄にしないようにしましょう。