ルカ 10:40 マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」
ルカ福音書の中でも「マルタとマリア」姉妹の話は有名です。イエス様の接待に忙しい姉マルタとその足元で話を聞いているだけの妹マリア。ついに姉マルタはイエスさまに訴えます。「わたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか」と。なぜ彼女からイエス様に対して、このような心にもない言葉がでてきたか。それは「せわしく」立ち働いて、何かを見失っていたからでした。
香港の友人から、中国製の置き時計をいただきました。とてもシンプルでお気に入りになりました。ただ一つだけ困ったことがあります。よく止まってしまう時計なのです。その時計は二日おきにネジをまく仕組みの時計です。電池入りの時計になれている私には驚きでした。初めは「なんて不便な時計だろう」と思いました。しかし、よく考えると「ただネジをまくだけなのに、それさえも面倒と思うようになったのか」と反省させられたのです。世の中はとても便利になりました。時計も電池を入れるだけで一年も二年も動くのです。しかも一分とかわらない正確さで動いています。そのような生活はとても快適です。しかし、電池や電気がなくなれば使用できない生活となるのです。手巻きの時計を眺めながら、毎日毎日、愛情を注いでネジをまくことの意義を教えられたようです。「今日も一日よろしく」と時計に声をかけてみると、一日の大切さを教えられるのです。ものごとを「せわしく」しているには私たち自身です。
イエス様は「せわしく」働いていたマルタに「あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している」と言われました。そして必要なことはただ一つ、目の前におられるイエス様のみ言葉きくことだと言われました。心が亡んでしまわないように、いま何をイエス様は求めておられるかを考えましょう。忙しそうに働くことではないと思います。