ルカ 14:17 「もう用意ができましたから、おいでください」といわせた。すると、皆、次々に断った。
イエス様が語られた「大宴会のたとえ」です。神様の国での食事する人はなんと幸いでしょうという客の言葉に対する教えです。ある人(マタイでは王様になっている)の大宴会に呼ばれた人々が理由をつけてこなかったという話です。招かれた人々は、はじめは行くつもりで返事をしたのでしょう。ところが行けなくなった理由が「畑を買ったから」「牛を二頭ずつ五頭買ったから」「結婚したばかりだから」というものでした。つまり現代用語にすれば「忙しい」からです。実はこの「忙しい」は万能の言葉で、これでことが許されると思っている人は多いです。しかし、イエス様の話は、神様の国のたとえです。呼んで下さったのは神様で、呼ばれた所は神様の国なのです。何をおいても一番に優先すべき事柄です。
小さい子どもさんがいる牧師の話です。彼はいつも教会にいるため、あえて子供と遊ぶ時間をとらない方針だったそうです。いつもいるわけですから、まとまってその時間をとる必要はないと思っていたのです。「お父さんは、ぜんぜん遊んでくれない」と不平を言われてはじめて、その時間をとってないことに気がついたのです。ある日、「お父さん遊ぼう」と長女が言ってきました。すかさず「仕事があるから」と答えました。「いつも遊んでくれない」との言葉に、「お父さんには仕事がたくさんある。いつもいっしょにいられるだけ良いと思いなさい」と怒ってしまたそうです。パソコンをしながら窓の外を眺めてると、長女が一人でままごとの道具をいっぱい持って公園にいくところでした。その後ろ姿がせつなくて涙がでたそうです。そこで、たったわずかな時間じゃないか、いっしょに遊ぼうと決心したのです。二人でブランコに乗り、青空に足がとどきそうになるくらい、思いっきりこいでみました。そのときの清々しさに感動し、ふと隣りの長女をみると、同じくらいブランコをこいでいたそうです。そのリズムが一つになったとき、娘はこんなに成長したのかと、神様に感謝しましたと。
何を最優先にすべきか。それは神様から託されている働きです。隣人を愛することです。そして具体的に動くことだと思います。「忙しい」を理由にしていると、結局何もできないのです。今日はこの「忙しい」という言葉から解放された日にしませんか。