ルカ 2:52 イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された
福音書の中では、ルカによる福音書にのみ「少年イエス」の出来事が記されています。家族の中でマリアとヨセフの子どもとして生活されていた出来事です。神様であるイエス様を、自分の子どもとして育てることは私たちには想像できません。しかし、人として同じように生きてこられた神様であるということを思わされる出来事です。
ある説教集のなかに『つもり違い十か条』という文をよみました。「高いつもりで低いのが教養」「低いつもりで高いのが気位」「深いつもりで浅いのが知識」「厚いつもりで薄いのが人情」「薄いつもりで厚いのが面の皮」「弱いつもりで強いのが我」「少ないつもりで多いのが無駄」といったものです。私たちの人生において、この「つもり」というのは交わりの壁となります。家族の間でも、まだ「子どものつもり」がそうではなかったということは沢山あります。
マリアとヨセフは、イエス様の親でした。それが「つもり」に変えられる一瞬があったようです。実際は親であるが、神様からみ子をあずかった存在だったのです。このことをしっかりと自分のうちに確認できないと、親のつもりになってしまうのかもしれません。
マリアとヨセフがこの世では育ての親であろうとも、イエス様は神の子なのです。そしてマリアとヨセフでさえもこのイエス様によらなければ救われない。私たちには「つもり」はありませんか。キリスト者のつもりというのが大変な壁かもしれません。「つもり」ってむずかしいなと思います。私たちは「つもり」になっていませんでしょうか。