ヘブライ 12:1 すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか
本日の箇所は、信仰の証人たちがキリスト者を支え導く人たちであることを述べた後半部分です。多くの信仰の証人たちの支えが「いま」ここにあるというのです。その支えのもとに、この時代のなかで、「重荷」「絡みつく罪」をかなぐり捨てて、宣教に励むことを勧めています。
「日本基督教団プロテスタント日本伝道150年記念大会」が、青山学院講堂で行われました。この表題が示すとおり、教団内部では様々な意見、反対があるようです。ベッテルハイムが琉球伝道をしてから163年なのに、150年を叫ぶのは沖縄の切り捨てない他ならないとの理由を言われていました。また、他にも神学的な問題を多く抱えているようです。しかし、山北宣久教団議長は「どうぞ反対の立場でも伝道してください」と叫ばれていました。「キリストこそ我が救い」をテーマに、伝道することでは一致できるのだと。教団内にかぎらず、それは来賓として招かれた各教派にも言えることだと思います。伝道することでは一致できると。
何が伝道の妨げになっているのか。何がすべての重荷になっているのか。それは外の状況ではなく、内なる罪ではないかと思います。そろそろ、牧師の自分から悔い改めていかないと伝道の進展はありえないと思います。
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