2コリント 5:1 わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。
パウロは、信仰によって生きるというテーマで、死の向こう側にある住みかのことを語ります。「住みか」とは直訳すれば「家」、「幕屋」は「テント」のことで仮の住まいのことです。この世の生活が終わっても神様によって用意されている天の住みかがあり、それは永遠のものであるというのです。昨日は「全聖徒の日」でした。教会では召天者を覚えて祈りました。
落語家の圓楽さんが天に召されました。テレビでもニュースになっていましたが、その中である芸人さんの話が印象にのこりました。彼は「死というものは寂しいですね。天国にその人だけでなく、その人の芸も持って行ってしまう。せめて芸だけは残ってくれないものか」と。圓楽さんの芸は圓楽さんしかできない。それが天国に一緒にいってしまった。天国におられるとわかっていても寂しいと。
私たちも身近な人の死に出会うとき、寂しいと思います。もうこの世では会うことができないという寂しさもありますが、本当はその人の、その人しか生きることのできない人生まで天国にいってしまうからなのでしょう。しかし、パウロは「天にある永遠の住みか」にて再び会えることを教えています。天国に持っていくことのできる、私だけの生き方を信仰もって生きぬきたいと思います。