出エジプト 16:15 イスラエルの人々はそれを見て、これは一体何だろうと、口々に言った。
モーセによってエジプトの苦役から導き出されたイスラエルの民は、荒れ野をさまようことになりました。それは40年におよびました。その中で何度となく民は「不平」を神様とモーセ言いました。この箇所は、食べるものがなく不平をいった民に「マナ」という不思議な食べ物を神様が与えられたときの民の言葉です。「これは一体何だろう」はヘブル語で「マン・フー」という言葉で、ここから「マナ」と呼ばれました。
古代ギリシャの哲学者であるアリストテレスは、哲学のはじまりについて「存在に驚くこと」といいました。「なぜ」「なに」と、その存在に驚き感動することから哲学がはじまるというのです。「なぜ雲は空に浮かんでいるの?」「なぜ、人はいるの?」とか、子どもたちも自然と哲学をしているのです。哲学というのは、私たちをとりまく外部の世界や自分自身を、驚きを持って見つめなおすことです。そしてそれを問い、答えを見出そうとすることなのです。
神様の出来事に感動すること。それを身近なところで見つけ出す。そして「なぜ・なに」と問うこと。それに対して、み言葉から答えを与えられること。これが大切なことだと思います。今日も神様の出来事に出会い、その存在に驚きと感動をもって生きていきましょう。