ルカ 12:36 主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。
イエス様は、主の来臨における備えを教えるために「目を覚ましている僕」のたとえを話されます。終末に備えて常に目を覚まして「待つ」ことのあり方をしめされました。いつ主人が帰ってきても、それが深夜であってもすぐにドアを「開けようと待っている人」のようにしなさいと言われるのです。いつでも準備完了してそこに向かっておくように。これが信仰の大切なポイントでしょう。
渋谷駅前に忠犬ハチ公の銅像があります。待ち合わせのスポットです。最近もハリウッド映画でリメークされました。仕事中に急に亡くなった主人の帰りをずっと待ち続けた犬の話です。この銅像はいま駅を背にしています。この話から考えると向きがちがうかなと思います。死ぬまで主人の帰りをずっと待ち続けたわけですから、これは駅を向いていなければならないかなと。よけいなおせっかいですが、「忠犬ハチ公!まわれ右」だなと。待つ人は、待っている人が来る方向を向いていると行動生理学の学者さんが言っておられました。
私たちもイエス様が来られるほうに向いて待っていなければなりません。それは来臨のときだけでなく、つねにイエス様のみ言葉を待っている、与えられる働きを待っているという、信仰の姿勢を意識したいと思います。神様から、いつどんな働きがあたえられても準備完了でありたいものです。