ローマ 12:4 わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように・・・
パウロは、「キリストにおける新しい生活」のテーマとして、真の礼拝は日常生活の中にあることを教えています。基本的には神様に受け入れられ、神様に属することによって、キリストにおける新しい生活があるというのです。その中で、教会の賜物は多くの部分から成り立っているが、キリストにおいては一つであると言っています。その違いの中で、一致できる働きをなしているのです。
イギリスのジョークに次のようなものがあります。<ある田舎の駅の駅舎には壁掛け時計が二つあって、この二つの指している時間がいつも違っていた。利用客がそのことを駅長に注意したところ、駅長は次のように答えました。「二つの時計が同じ時刻をさしているのであれば、時計は二つもいりませんよ」と>日本人は他と違うということを嫌います。「みんな」という言葉が大好きです。みんなと同じようにと。しかし、神様はまったく同じ人を何人もつくられませんでした。違いを認め合うようにされたと思います。しかし、神様が造られたということで一つなのです。
私たちの働きも、みな同じ働きをしているわけではありません。与えられた賜物に従って働きが与えられています。それぞれ違った働きです。しかし、この働きは教会のため、神様の宣教のためでは一つです。お互いを認め合って、ひとつの目的のために今日も生きていきましょう。