2コリ 12:7 そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。
パウロの生涯は、誇ってもいいものです。現在のキリスト教があるのもパウロの力があったからだと思います。しかし、パウロは思いあがることのないように「とげ」が与えられたと言います。具体的には何かわかりません。しかし、その「とげ」のゆえにいつも神様と向き合うことができるというのです。
南極ではときどき「ホワイトアウト」とい現象がおこるそうです。晴れた日、上空に薄い雲がかかっているときに起きる現象です。太陽の光が雲に乱反射し、同時に地面の雪にも乱反射する。するとあたり一面が光そのものになってしまう。その時に「影」がなくなるのです。「影」がなくなると、人間は距離感覚・方向感覚を失います。自分がどこにいるのかわからなくなってしまうのです。この現象で命を落とす人たちもいるそうです。光は必要ですが、光だけでは死の危険さえあるくらい迷ってしまうのです。
神様の前で完全であることは素晴らしいことです。しかし、完全な人間などいません。みなどこかに「とげ」(痛み・苦しみ)を抱えています。その「とげ」と向かい合うとき、そこに神様が共におられることを知るのです。アドベントの季節は、私たちに与えられた「とげ」は何か、それを赦し共にいてくださる神様に感謝する時です。