使徒 27:15 船はそれに巻き込まれ、風に逆らって進むことができなかったので、わたしたちは流されるにまかせた。
仏教のお経に出てくる架空の鳥で「寒苦鳥」というものがいます。ヒマラヤに棲んでいると言われています。この鳥の特徴は巣を造らないのです。ですから、ヒマラヤの寒い夜を、寒苦鳥の夫婦はお互い抱き合って震えて過ごすのです。そしていつも震えながら「明日は必ず巣を作ろう」と話しあいます。ところが朝がきて太陽が昇ると温かくなるのでそのことを忘れるのです。しかも「人生いつ死ぬかわからない。巣をつくるなんて無駄だ、すべては神様におまかせしよう」というのです。仏教では愚かなたとえのようですが、この寒苦鳥の夫婦の「すべては神様におまかせ」ということは感心していますが。しかし、やることはきちんとやって「おまかせ」でなければならないと思います。また神様を信じるという信仰の上に立っての「おまかせ」が大切なことでしょう。
本日の聖句は、パウロがローマへ護送されるときに嵐に巻き込まれたところです。パウロの忠告を聞かなかった人々が遭遇した難破でした。ただ、そのような困難にであったときには「まかせる」しかないのです。この中で人々は「流れにまかせる」だけでしたが、パウロだけは「神様にまかせる」ことができました。このまかせかたの違いを考えてまいりましょう。