マタイ 14:16 「『ここにはパン五つと魚二匹しかありません。』イエスは、『それをここに持って来なさい』といい、群衆には草の上に座るようにお命じになった。」
イエス様に対する弟子たちの言葉「~しかありません」は、どんな響きでしょうか。「イエス様。たったこれっぽっちしかないですよ」という抗議。「イエス様これじゃあしかたありません」という諦めの響きでしょうか。どちらにせよ「こりゃだめだ」というものでした。これに対し、イエス様は弟子たちに「違った方法」をしめされました。5千人の人々に食べ物を与えるという奇跡という方法でした。
よく使われるたとえにコップの水の話があります。コップに水が半分はいっている。ある人は「水が半分しかない」という。ある人は「水が半分もある」と言う。同じ状況にあっても、その人の見方で違ってくる。これは「リフレーミング」というものです。「見方を変える」ということでもあります。イエス様のみ言葉をよく聞く時、この「リフレーミング」を教えられます。
この不況の時代にあって、教会会計もかなり厳しいものとなりました。伝道費が「これっぽっち」しかない。集会費なんて「全然ない」。「あれもない。これもない」と聞こえてきます。私たちの教会も弟子たちの言葉と同じようです。「どうせだめです。これしかないのですから」と。イエス様はそんな私たちにどういわれるでしょうか。私には「おいおい。パンが五つもある。魚が二匹もあるではないか。教会にはあなたがいるではないか。」と聞こえてきます。イエス様のみ言葉で、今の状況を「リフレーミング」してみませんか。