ヨハネ 9:41 見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、「見える」とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。
イエス様によって、生まれつき目の不自由な人が癒されます。「見えなかったものが、見えるようになる」という奇跡を通して、神様の国が来ている事(イザヤ書の預言)が示されます。また、そこにおられるイエス様が神様の子であることも同時に示されます。しかし、ファリサイ派の人たちはそれを信じることができず、何度も本人に事情聴取をするのです。はじめから信じないのですから、奇跡と事実を受け入れないのです。
今日も暑い日で、天候が不順です。さて気象庁で語り継がれている笑い話があります。ある予報官が、明日の天気は「快晴」と天気予報をだしました。しかし、翌朝は土砂降りの大雨だったのです。予報は見事に外れました。その予報官は自分の机にある昨日の天気図と土砂降りの雨を眺めながら言いました。「この天気図によると、絶対に雨は降らない。だから降っている雨が間違っている」。笑い話ですが、自分たちも同じことを言っているように思えます。「自分は正しい、間違っているのは自分ではない」という言葉です。
イエス様の言葉に「見えないものは見えるようになり、見える者は見えないようになる」というのがあります。自分たちは「見えている」と主張するものには見えないことがあるのです。自分のことしか考えられない人たちも同じです。口語訳には「今あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたの罪がある」となっています。「言い張る」という言葉に注目して今日を過ごしましょう。