マルコ 8:2 群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。
イエス様は、4000人以上の群衆が何も食べる物がないという状況に出会われます。その時、弟子たちを呼びよせて「群衆がかわいそうだ」と言われました。このまま空腹のまま帰してしまうと、途中で疲れきってしまうと思われたのです。また遠くから来ている者もいることを心配されました。4000人に食べ物を与える奇跡は、このイエス様の心からはじまったことでした。
マザー・テレサの言葉に「大切なのは、どれだけ多くのことをしたかではなく、どれだけ心をこめたかです」というものがあります。私たちは仕事でも「多くをする」ことを考えます。そのために「忙しい」と言う言葉を連発していないでしょうか。「忙しい」という言葉は、心はないということを言っています。マザー・テレサは「どれだけ心をこめたか」といいます。本来大切なことは、一つ一つの働きに心をこめること。その上で適切に働きをなしていくことです。神様の与えられた働きは、心をこめなければできないことです。「これだけ忙しいのに、どうしてうまくいかないのか」と考えるときがあります。その答えは「心がこもってない」からなのです。
イエス様は、食べるものがない群衆をみて「かわいそうだ」と言われました。そこにイエス様の心があります。その心が、4000人に食べ物を与える奇跡につながりました。感謝の祈りと共に与えられたパンには、イエス様の「心」が込められています。群衆が満たされたのは、パンだけでなく、イエス様のみ心によって祝福に満たされたのです。