マタイ 19:23 青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。
イエス様に、ある青年が「永遠の生命を得るには」と質問します。イエス様は律法を守りなさいと答えます。青年は、答えが納得できなかったのか「どの掟ですか」と問います。イエス様は「神様と人を愛しなさい」と答えられたのです。それでも納得できない青年は「そういうことはみな守ってきました」というのです。するとイエス様は、財産をすべて貧しい人々に施し、掟を実行しなさいといわれました。青年は金持ちだったので、悲しみながらそこを立ち去っていきました。問いと答えが噛み合わなかったのです。
ある本で次のようなことを読みました。上司と部下が「私は悪くない」「いや、そんな問題じゃなくて」と言い争っていたそうです。まわりで聞いていた人は、またかと思いこの会話はこれ以上に発展しないと思いました。なぜなら、同じことの繰り返しだからです。この会話を発展させるためには「いくつかの問い」が必要だと書かれていました。お互いに「何を問題としているか」「どうしてそうなったか」という問いです。しかし、「自分はこんなにやった」「言われたとおりのことをやった」「私がこんなに言っているのにどうしてわかってくれないの」と言う答えだけがあります。つまり、「自分はいいか悪いか」というたった一つの問いに固執したままなので意思が通じあわないのです。お互い「相手が求めるいくつかの問い」から問題をみようとしないので解決できないのです。
イエス様は「永遠の生命を得る」ことについて答えておられます。しかし青年にとっては、その答えが答えとなっていません。それは青年の中に答えがあって、それにしがみついているからです。自分は悪くないということにしがみつくと、せっかくの神様の言葉もとどなかいのです。「自分は・・・」と言う前に、自分に対していくつかの問いを持つことも必要です。