ルカ 18: 17 子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。
イエス様のもとには、祝福をうけるために多くの乳飲み子が連れられてきます。福音書では、弟子たちはそれをみて叱ったと書かれてあります。乳飲み子たちがうるさかったというわけではありません。ユダヤ社会では子どもは成人するまで女性に属しており、律法順守の義務を持っていませんでした。ということは救いにも与り得ない存在だったのです。その子どもたちをイエス様は受け入れられたのです。
子どもって本当に純真で、優しくて、無垢な存在なのかと考えるときがあります。教会学校などをやっていると、案外そうでもないなと思います。子どもは子どもなりにいろいろと計算しているし、人を小バカにするし、話はちっとも聞いてくれない。しかし、聞いてないようでも聞いている。バカにしているようでも実際は愛情の裏返しだったりします。子どもも複雑な心をもっていると実感させられます。
今日の福音書で問題とされている「子ども」は、乳飲み子です。乳飲み子は信頼の固まりです。親に対して絶対的な信頼を持っています。しかも、乳飲み子が言葉を受け入れていくスピ-ドは驚くものがあります。信頼している人の言葉を、たっぷり吸収していくのです。神の国はこのような者たちのものです。律法が守れるかどうかの問題でなく、み言葉を聞き受け入れることができるかどうか。それが問題です。