ヨハネ 19 : 42 イエスを納めた。
たった一言の聖書の言葉で、立ち止まることがあります。「息を引き取られた」などは、イエス様の息を引き取ってくださったお方がおられるということです。そんなたった一言が大きな意味を持つことは、聖書のなかでよく起こることです。
本日の聖書には、「イエスを納めた」とあります。むしろ、墓にとじこめたという意味だと思います。十字架での死を経験し、なんとかそのご遺体を墓に納めたいとの心で、最大の努力をしたのでしょう。ニコデモは没薬と沈香をもってきたとあります。これは葬式の準備でした。このとき、誰が「復活」を信じていたのでしょうか。アリマタヤのヨセフ、ニコデモそのどちらも復活を信じていたのでしょうか。
イエス様は死んだのです。この事実は確かなことです。人々は嘆き悲しんだことでしょう。イエス様を神様だと信じ従ってきた人々は、その事実の大きさゆえに、その後のことまで考えられなかったのです。むしろ、復活など信じられなかったのかもしれません。復活は信じられない。そうです。しかし、復活はあったのです。週の初めの日に人々はその復活に出会うことになりました。