Ⅰコリント 14:24 異言は、信じる者のためではなく、信じていない者のためのしるしですが、預言は、信じていない者のためではなく、信じる者のためのしるしです。
私たちの教会はいったい誰のためにあるのでしょうか。信者のために。まだ信者でない方のために。どちらでしょうか。私は両方のためだと思っています。しかし、今の教会はどちらかといえば、「信者のために」が多く、まだ信者でない方々への配慮は少なすぎると思えます。
最近、いろいろな宗派の教会へでかけて礼拝に参加させていただきます。その度に、いかに教会は信者だけが分かるシステムが多いことだろう、と考えさせられています。受付からそうです。どうしてよいのかわからない、暗黙のシステムだらけだなと思うのです。ルーテル教会は式文がありますから、初めての方にとってはこれもまた暗黙のシステムと映っているかもしれません。
私たちはパウロの言うとおり、何が信者のためで、何が信者でない方のためかを見極めたいと思います。せっかく神様が導いて下さった人々です。私たちだけにわかることを、もう一度見直してみたいです。そのように考えていくと、開かれた教会となっていくのではないでしょうか。