ガラテヤ 240 生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。
祈ることの大切さはいうまでもありません。しかし、「何を」「どれだけ」祈っているかは大問題です。パウロは「絶えず祈りなさい」といいます。絶えずというのはひっきりなしに祈るということですし、何でもどれだけでも祈れと教えているのではないかと思います。
私たちは自分の中に、キリストが生きておられるのを忘れてしまいます。いつでも話しかけてくださるのに、そのみ言葉を聞こうとはしません。必ずよい道をそなえてくださるのに、その声に耳を傾けないのです。
どうしたらキリストの声が聞こえてくるのでしょう。いうまでもなく祈ることです。「主よ、お話ください。私は聞きます」という祈りが大切になってきます。次のような祈りを見つけました。「私の内に生きておられるイエス様。お話ください。僕はききます」。