フィレモン 7 兄弟よ、わたしはあなたの愛から大きな喜びと慰めを得ました。聖なる者たちの心があなたのお蔭で元気づけられたからです。
パウロはフィレモンへの手紙の中でで、『キリスト・イエスの囚人』という言葉を2回使用しています。たぶんキリストにとらわれてしまったと言うことと、その点ではフィレモンもオネシモも同じだといいたいのでしょう。
フィレモンという人は、愛と信仰に満ちた人だったようです。パウロ自身がフィレモンの愛から、大きな喜びと慰めを得たと言っているのです。
さて、私たちはどうでしょうか。大きな喜びと慰めを与えるような信仰者でしょうか。私たちの存在がキリストを喜ばせるものかどうか点検してみる必要があります。しかし、「私はどうだろう」と思い巡らせてくださるだけで、主は喜んでくださると言えます。イエス様にあってわたしは誰だろうから、悔い改めは起こってくるのですから。