箴言 24:13 若者を諭すのを控えてはならない。鞭打っても、死ぬことはない。
箴言24章も若者に対する教育のことが書かれてあります。私の子ども時代は、先生の体罰というのをよく見かけました。納得できるものもありましたが、そうでないものもあったなと思います。納得できるものであれば心の傷は残りません。しかし、納得できない体罰が子どもの心をいかに傷つけるかを教えられます。
今日はプロ野球のキャンプインの日です。楽天イーグルスの監督が星野仙一氏になったとき、「緩慢なプレーには鉄拳制裁も辞さない」と書かれていました。星野監督といえば、鉄拳というイメージがあり怖いという印象です。しかし、その内容をきいてみると、プロの勝負師としての考え方があるのでしょう。「緩慢なプレーは許さない」という一言に、何のために野球をしているのかを問うておられるのかなと思います。楽天イーグルスがどうなるか、今年は楽しみでもあります。
箴言は「若者を諭すのを控えてはならない」といいます。いまの社会では「いってもしょうがない」という感じで諭しを控えることも多いようです。逆ギレというものもありますから、若者を諭すのには勇気がいることかもしれません。しかし何のために「諭す」のか。それは、若者自身の人生のためであり、神様が彼を導こうとされているからです。「鞭打っても、死ぬことはない」という表現は、箴言の時代には若者を諭すときの鞭打ちは普通のことだったのかもしれません。体罰とは何かを一度真剣に考えてみなければなりません。