2コリ 3:2 わたしたちの推薦状は、あなたがた自身です。それは、わたしたちの心に書かれており、すべての人々から知られ、読まれています。
パウロは、エルサレム教会や使徒たちからの「権威ある推薦状」を持っていませんでした。そのことが問題となり、自己推薦しているのではと批判されています。これに対してパウロは「わたしたちの推薦状は、あなたがた自身」と言っています。福音を聞いたコリントの人々の信仰、生き方がすでに推薦状を現わしているというのです。推薦状が必要なのでなく、どう生きているかが推薦状になるというのです。
キリスト教系の学校をめざす受験生のために「牧師推薦状」を書いたことがあります。その時だけ教会にくる子どもも多いし、親から頼まれることもあります。しかし、推薦するというのは責任が伴うことなので、何回かお会いして書くことにしていました。推薦するわけですから、その子の良い所を見ようとします。しかし、結局はその子が何をしたいかを聞いていました。その学校に入りたいではなく、その学校に入って何がしたいか。それがはっきり聞こえたときに推薦状を書きました。「何を」がきちんと言えるということで推薦がしやすかったのです。しかし、結局はその子自身を見られると思います。推薦するというのはとても難しいものです。
パウロは「わたしたちの推薦状は、あなたがた自身です」といっています。その人がどのように生きているか。キリストの福音を聞いてどのように従っているか。どんなキリストの良い香りを発しているか。パウロの推薦状は私自身という生き方をしたいと思います。