ヘブライ 11:39 この人たちはすべて、その信仰のゆえに神に認められながらも、約束されたものを手に入れられませんでした。
ヘブライ人への手紙11章は、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」から始まっています。そこから旧約聖書に登場する信仰の先輩たちを列挙しています。アダム、アブラハム、そしてモーセ。彼らの信仰を学ぶように書かれてあります。しかし、最終的には「に神に認められながらも、約束されたものを手に入れられませんでした」というのです。
はじめてこの聖書箇所を読んだとき「それでは誰が救われるのか」と思いました。旧約聖書を読んでいますと、その信仰に驚かされます。神様を畏れ敬い徹底的に従う信仰者がそこにいるからです。しかし、これらの人々は約束されたものを手に入れなかったというのです。「それでは誰が」約束されたものを手にいれるのでしょうか。それを解決してくれるのは、「神は、わたしたちのために、更にまさったものを計画してくださった」という御言葉にあります。
イエス・キリストによらなければ、救いはないということです。どんなによい行ないをしても、祈っても、そこにイエス・キリストがいないならば、十字架がなければ無に等しいのです。十字架のまえに自分を省みる信仰を持っているかを問われるのです。