イザヤ 52:7 いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。
パウロがローマ人への手紙に引用したイザヤ書の箇所です。呼び求めるためには信じることが必要です。そして信じるためには聞くことが、聞くためには宣べ伝えることが大切です。そして宣べ伝えるためには人がいるのです。そこでもっとも必要なのが「足」なのです。み言葉を述べ伝える足の美しさを称えています。
ルーテル教会の宣教で、昔と今の違いを引退牧師たちにインタビューしています。過去、教勢が大きく成長した教会をピックアップし、その期間に働かれた牧師に何を一番中心においてきたかを聞いているのです。その数が少ないのが残念ですが。その結果、ポイントは「足」であると気がつきました。先生方の時代にはITの普及もなく、印刷機もなかったそうです。ですから毎日毎日「歩き回った」と言われるのです。どの先生も「よく歩いていた」と言われました。一人でも多くの人に福音を宣べ伝えるのだという「使命」に立ち、歩き回ったというのです。いまの教会にたらない何かはここにあるかもと考えています。
宣教するも者の何が美しいか。それは話の内容ではなく「足」です。良い知らせを一人でもおおくの人に伝える足なのです。その足をいま忘れていないでしょうか。この現代社会における「足」って何?と問いながら今日をすごしています。