マルコ 9:24 イエスは言われた。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」
汚れた霊に取りつかれた息子を父親がイエス様のところへ連れてきます。父は息子を弟子たちのところへ連れて行き、汚れた霊を追い出してくれるように頼みましたができなかったというのです。そこでイエス様に対して「あなたにできるならば・・・」というのです。これはとても失礼な言葉です。はじめから疑っているのです。イエス様に全信頼をおいていない。信仰の力を信じていないということです。
現在、日本にはコンビニは4万あると言われています。しかしお寺の数は8万です。そのような中で、あるお坊さんがお寺の危機を訴えていました。コンビニには人が多く通うのに、寺には若者が来ない。彼は「お前のうちは人が死んだら儲かるな」といわれショックをうけたそうです。もともと仏教や寺は「生きるために必要」であるのに、「死んだら必要」となっている。コンビニの方が若者にとって「生きるのに必要」なものがあるというのです。本来あるべき信仰の力が信じられてない現状の中で、寺もお坊さんも「あせり」を感じているという問題を訴えておられました。
教会はどうかと思います。教会は何のためにあるのか。同じような悩みとあせりを持ちつつ、あるべき姿を模索しているのかもしれません。イエス様は「できればと言うか」と問われました。信仰とは何かを問われています。イエス様に全信頼を置いて今日の宣教にあたらねばと感じます。