「イエス様には弟子がおられましたが、牧師先生にも弟子がおられるのですか」と聞かれました。きっと牧師のことを先生というので、教え子や弟子がいると思われたのでしょう。「弟子は自分だけです」と答えて笑ってしまいました。
ピアニストのリストに面白い逸話が残されています。リストがある田舎に行った時のことでした。その村のコンサートホールで、リストの弟子と名乗って独奏会開いている女性ピアニストを見かけました。リストはこの女性のことをまったく知りませんでした。その夜のことでした。リストが泊っているホテルに、その女性ピアニストが訪ねてきました。彼女はリストの大ファンで、無断でリストの名前をつかったことを詫びました。するとリストは、彼女を咎めませんでした。しかもホテルのピアノでその女性に独奏会で弾いた曲をもう一度弾かせ、2,3の注意をしたのです。それからリストはいいました。「さあ、これであなたは、堂々とリストの弟子と名乗っていいですよ」と。とても素敵な話しだと思います。
イエス様はマルコ福音書の中で「はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。」と言われました。キリストの弟子だという理由でというのは深い意味を持っています。神様の弟子だという意味があるからです。
どうしたらキリストの弟子となれるでしょうか。そんなに難しいことはないなと思います。み言葉に触れ、み言葉を信じた時、すでにイエス様から「あなたはキリストの弟子」だといっていただけると思います。弟子としていただいた私たち。秋にむけて活発に宣教を繰り広げられたらいいですね。実りをむかえる秋ですから。