ヨハネ 16:24 願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる
イエス様の「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる。」との言葉で、弟子たちはまた愚かな論争を始めます。しかし、私たちもそこにいたら、もっと愚かな論争をしていたかもしれません。十字架と復活の出来事を経験してはじめてわかることがあります。復活の出来事の中での喜びで満たされること。それを願いなさいといわれています。
さて「願う」とは何でしょうか。子どもたちはいつも「あれ買ってくれ、これ買ってくれ」といいます。願いとはそのようなことでしょうか。どうも違うような気がします。それはおねだりというもので願いではないのです。それでは、願いとおねだりの違いは何でしょうか。それぞれに言換えてみればわかるかもしれません。おねだりは「わがまま」であり、願いは「祈り」ではないかなと思うのです。
私たちは欲しいものを、あれこれと神様におねだりするのではありません。むしろ、願いとして祈っているのです。神様の御心がなりますようにとか、世界が平和になりますようにとか、御心ならば病気から解放させてくださいなどは、すべて祈りです。自分勝手な欲望にふりまわされずに、神様の御心にしたがって願うときに、本当の喜びが与えられるのです。