2テモテ 3:5 信心を装いながら、その実、信心の力を否定するようになります。
教会の暦も、いよいよ最後の週を迎えます。次の礼拝が「聖霊降臨後最終主日」で、その次は「待降節」となり、クリスマスを待つ季節、教会暦では新年がはじまります。「聖霊降臨後最終主日」では、この世の終末のことを聖書から学ぶことになります。
いままさに、終わりの時だと叫ぶ方々がおります。今日の聖書では、この世の終わりの時のようすが書かれてあります。「人々は自分自身を愛し、金銭を愛し、ほらを吹き、高慢になり、神をあざけり、両親に従わず、恩を知らず、神を畏れなくなります」とあります。さらに「情けを知らず、和解せず、中傷し、節度がなく、残忍になり、善を好まず、人を裏切り、軽率になり、思い上がり、神よりも快楽を愛し」と続きます。このことがらは自分とは関係なく、この事柄に全然関わっていないと、誰が言えるのでしょうか。しかし一番の罪は、そのあとにある「信心を装いながら、信心の力を否定する」ことなのです。
あたかも自分は信仰者でありますといいながら、十字架の前にひれ伏すことがないならば、どうして信仰者といえるのでしょうか。信仰を装いながら、神様の財産である教会を食い潰すことをしてないでしょうか。教会暦の最終週にあたり、神様の前での「悔い改め」とは何かを考えています。