引越しも無事におわりました。東京都から神奈川県に引越しです。ということで先週から通勤生活がはじまりました。朝6時の電車にのります。田園都市線・半蔵門線で永田町まで、有楽町線に乗り換えて市ヶ谷までです。大抵は40分でしょうか。みなさん「近いですね」と言われます。確かにそうでしょうが、はじめての通勤生活はとても大変です。
朝6時の電車はすでに座る場所はありません。渋谷に向かっていくごとに人数は増えます。そして永田町では群衆の大移動という感じになります。これが毎朝続くのです。牧師という職業柄、通勤のない生活をしていましたので「これはいったい何だろう」と思ってしまいました。家族と自分の生活のためにということでしょうが、そのために毎朝の通勤を繰り返しておられるのです。こんな経験をさせていただいていることに感謝です。
牧師たちの会議の中で「信徒の方々は毎日通勤電車に揺られ、会社では数字に突きつけられ、疲れきっておられる。日曜日まで教会で働きたくないはず。だから教会では何もせず、その方々の癒しが必要」という意見を聞いてきました。そういうものだろうと思っていました。しかしそれは牧師の言い訳ではないかと思います。いま通勤生活をはじめ、事務処理の毎日。財政的な数字を見ることが多く、危機感はつのる。何をすればいいのか追い立てられ時間がすぎていく。会議、会議の毎日に、会議に疲れる。そんな毎日ですが、だからこそ日曜日の教会なのです。
牧師や教会に求めるのは福音です。何もしないではなく、神様の働きに参与したいのです。毎日が自分や会社のために働いているからこそ、日曜日は神様の働きがしたいのです。そこにほしいのが、牧師の説教の中の福音です。来週まで生きるための福音です。そして宣教です。いまはそう思います。現場にいたときには思いもしなかったことでした。牧師の説教に求められているものは何か。牧師は自分を違う角度からみてみることも大切だと思います。自分の語る説教が、自分には福音となっているでしょうか。