ローマ 8:26 わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。
パウロは、私たちがどう祈ってよいかわからない状態をよく知っています。しかし、そのような時でも聖霊が共にいてくださり、「うめき」で祈ってくださると教えています。
大川小学校を訪問した時のことでした。津波で破壊された家など重機で片づけられ、新しい道ができていました。まだ泥だらけの道ですが、そこを大型ダンプがひっきりなしに廃材を積んで行き来しています。大川小学校前に新しくできた慰霊碑でお祈りをしていた時でした。大型ダンプが止まり、中から運転手さんが降りてこられました。手にはお菓子とジュースを持って。運転手さんは慰霊碑にそれを置き、しばらく祈っておられました。「おれできること毎回通るときに祈ることだけだから」とまたダンプに乗っていかれました。他府県ナンバーのダンプでしたので、災害復興のためにきておられるのでしょう。その祈りの姿に深い悲しみを感じました。
パウロは「言葉に表せないうめきをもって」という言葉を教えてくださいました。私たちはどう祈ればわからない大きな悲しみに出会うことがあります。現実をうけいれるには、あまりにも苦しいことがあります。しかし、その中にある祈りを、聖霊自ら「うめき」で祈ってくださるのです。私たちの祈りにうめきで寄り添ってくださるのです。