マタイ 17:6 弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。
イエス様はエルサレムへ向かう前、タボル山で変容されたと聖書は記しています。そのとき、ペトロ、ヤコブ、ヨハネだけがそこにいました。真っ白に輝き、モーセとエリアと話しておられる姿をみ、神様の言葉が聞こえてきたとき、弟子たちは「非常に恐れた」とあります。直接、語りかける神様の声を聞いたからです。その体験は弟子たちの心の中に深く刻まれています。受け取った出来事は、弟子たちにとって恐れとして刻まれたのです。
先週、大きな余震がありました。これまでも毎日のように余震はありましたが、最近では特に大きく揺れ、それが長く続きました。もっとも恐怖だったことは「津波注意報」が出されたことでした。被災者のみなさんは時間がさかのぼり3月11日が再び心の底から突き上げてくる状況におかれました。共に働いている被災者の方は、床に座り込み、机の脚をつかんで泣きだされました。「もういや。もうたくさん。なんで地震がくるの」との叫びが突き刺さってきました。復旧への道を歩み始めた被災者に、これでもかというくらい余震が続き、そのたびにあの日がよみがえってくる。私たちルーテルさんも何もできずに寄り添っているしかない。毎日が痛み苦しみとの戦いなのだということを教えられています。
イエス様は恐れている弟子たちの近づき、手を触れていわれました。「恐れることはない」。恐れる弟子たちに近づいて手で触れておられます。ここにイエス様の愛を見ることができます。恐れのなかにあっても、イエス様は共にいてくださるということです。手で触れてくださるというのです。私たちのとなりにいてくださるイエス様が恐れる人たちに触れてくださる。私たちはそう信じて寄り添っているのです。