ルカ 15:22 父親は僕たちに言った。「急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。」
ルカ福音書で有名な「放蕩息子のたとえ」の部分です。父親の財産を先取りし、放蕩に身を持ち崩した息子が自分を見つめ直し父親のもとに帰ってきます。自分勝手なことをして出て行った息子ですので、親子の縁を切られていてもいいはずです。しかし、父親は急いで彼のもとに駆け寄り、迎え入れました。それは父親にとっては「失われていた息子」が見つかったからです。「急いで」という言葉には、「まったなし」で迎えるという意味も含まれています。
被災地から帰ってきて2週間になります。やはり毎日、被災地で出会った人々を思い浮かべています。あのおじいちゃんはどうしているだろか、あのプロジェクトはどうかとか。また、被災地の状況はどう変わっているのだろうとか。今週は毎日「しあわせ運べるように」というCDも聞いています。「亡くなった方々のぶんも、毎日を大切に生きて行こう」と歌うたびに涙がこみ上げてくるのがわかります。仮設住宅で孤独死があったという知らせを聞く度に「被災地はまったなし」と言われた避難所のリーダーの言葉を思い出します。ルーテル支援もできるだけはやく次期派遣牧師を被災地におくることができればと祈っています。いま「まったなし」に応えることができるかを問われています。
イエス様のたとえで、この放蕩息子は「まったなし」で父親に迎え入れられています。それは父親がすぐに迎えなければ彼は親族から縁を切られていたので、この勝手な息子は殺されるかもしれません。この「まったなし」に父が動いたことが「愛」であると思います。父親しか彼をまもることはできなかったのです。
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