ローマ 13:8 互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。
パウロは隣人愛を教える時に「借り」という言葉を用いています。愛は借りであってよいというのです。互いに愛し合うことが隣人愛ならば、それは互いに借りを持っているということでもあります。お互いが愛するという点において相手を負うているというのです。
ある朝、石巻ボランティアセンター事務所にいったときのことでした。職員の方が「今日は晴れて本当によかったわ~」と涙を流されました。「今日だけは晴天にして下さいって祈ってたのよ」とも。じつはこの日は被災地の幼稚園で運動会がある日だったのです。そこの園に、職員さんの子どもがいて、何か月ぶりの親子の再開と休みがとれた日だというのです。職員の方々も被災者です。家が壊滅した方もおられます。それでもテントや旅館に寝泊まりしながら災害ボランティアセンターで働いておられたのです。職員仲間のことをよくしっているから「今日は晴れて本当によかった」としみじみ言われたのです。みなわかっている。みな信頼している。そんな姿に感動しました。
パウロは「互いに愛し合うことの他は」と言っています。愛し合うということにおいてはお互いが借りを造ってよいといのです。お互いがその人の痛み、苦しみ、悲しみを負い合うとき、本当の隣人愛が生まれるのです。苦労を共にしてきた半年があるから、共に痛みを負い、互いの喜びを分かち合えるのです。それが隣人愛だと思います。