マタイ 4:16 暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。
イエス様は、洗礼者ヨハネ逮捕のあとガリラヤで伝道を開始されました。マタイ福音書では「ガリラヤへ退く」という形で始まったと記しています。ガリラヤの地は預言者イザヤによって「異邦人のガリラヤ」と呼ばれ、ユダヤ人にとっては罪深い所とされています。そのような異邦人に福音はまず告げられたとマタイは記しているのです。暗闇として扱われていたガリラヤにこそ、イエス様が光としてやってこられたというのです。
10月になりすっかり秋らしくなりました。石巻河北では8月に赤とんぼの群れをみましたが、昨日は熊本阿蘇で赤とんぼの群れをみました。赤とんぼの群れを見ると「秋だな」と思います。同時に、太陽が昇ってくる時間が遅くなっているのに気がつきます。最近では朝起きるときは真っ暗です。しかし、この闇があるから朝日が美しいのだ聞いたことがあります。人生も闇をどのように受け取るかで変わってきます。闇があるからと考えることができるのは、すべて神様が支配して下さっていると知っている者だけかもしれません。
イエス様の福音は、まず暗闇にやってきます。「暗闇に住む民は大きな光を見」と言われているとおりです。暗闇があるからこそ、イエス様を光として迎えることができ、その光を救いとして受け取ることができるのです。自分の中にある暗闇を見つめるとき、そこにこそイエス様がやってきて下さるとを信じていたいものです。
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