マタイ 13:12 持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。
「種まきのたとえ」を聞いた弟子たちは、「なぜたとえで語られるのですか」とイエス様に質問をしています。たとえ話は、み言葉の真理を分かりやすく説明するものです。弟子たちにとって、なおわかりにくい話だったのかもしれません。弟子たちは、与えられている神様のみ言葉を自覚し何を持っているかがわかっていなかったのでしょう。そうなるとイエス様のたとえ話も理解できない難しい話となります。
子どもたちが小さかった頃、よくオモチャの取り合いをしていました。それはお友達との間でも同じでした。貸してあげればいいのにと、子どもって案外ケチだなとも思っていました。ある本で「なぜ子どもはおもちゃを貸すことができないか」というエッセイを読みました。貸すという前に「自分が所有しているということが認識できてないから」です。つまり所有していないものを貸すことができないというのです。子どもには所有していることを教えることからしなければ、「ケチ」と判断してはいけないのです。
イエス様は「持っていない人は持っているものまでも取り上げられる」と言われました。何を持っているかを認識できないと、取り上げられたことも理解できません。私たちは神様のみ言葉を持っています。それを持っていることの認識がなければ、人に分け与えることもできないのです。「何を持っているかに注意しなさい」というイエス様のみ言葉もあります。自分は何を持っているのかを点検してみることも大切です。
<音声朝礼は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>