マルコ 7:15 外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。
弟子たちが「洗わない手」で食事をしていることをみたファリサイ派のユダヤ人たちが、イエス様に問いただしにやってきます。念入りに手を洗って食事することは、律法違反をさけるための防御でした。あくまでも習慣で昔の人々の言い伝えだったのです。根本には、人間を淨・不浄にわけて差別するという事へとつながっていきました。それに対し、イエス様は人の中からでてくるものこそ人を汚すと言われたのです。
昨日の続きで旅行の話です。旅行になると相手の嫌な部分が目についてしまうのはどうしてかという質問がありました。その答えはこのように書いてあります。「旅行というのは長い期間一緒にいるため、普段のデートで無意識的に隠していた自分(メイクに時間がかかる自分、朝寝坊な自分など…)がバレてしまうのです。」(恋愛心理カウンセラー・根本裕幸さん)。たしかに長時間ずっと行動を共にすると、普段では見えてこなかった相手の一面が見えます。自分の本質も見抜かれてしまいます。結局、どんなに隠していても自分の中のものが外に出てくるのです。それをお互いに受け入れられるかということなのでしょう。
イエス様は「人の中から出て来るものが、人を汚す」と教えられました。その人の中にあるものが何かが大切です。人を傷つけたり、バカにしたりというのは、その人の中の問題が多いものです。その人の中からでてくる言葉は、その人の中のことを表しています。どんなに隠しても自分の中にイエス様のみ言葉と愛がなければ、外を変えることはできないのです。 <音声朝礼は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>