マタイ 5:13 あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。
マタイによる福音書では、他の福音書とは違い「塩」「光」の活用をすすめてはいません。むしろイエス様の言葉を聴く信仰者こそが「塩である」「光である」と言われています。たとえ小さな働きであっても、その働きを神様が認めてくださり、それこそがこの世になくてはならない「塩である」と宣言されるのです。
現在、今年中に出版の計画をしているエッセイ集の校正をしています。毎週1つのエッセイを書きためてきました。連続性がなく自由に思うことを書きました。ですから5年分のエッセイをまとめるのに大変苦労しています。自分の文章で一番多い言葉は「思います」です。「です」と言い切ることができない特調があります。自信がないのか、人に考えを押しつけたくないのか。ただ「思います」が何度も続く文章は、読んでいて疲れます。きちんと言いきってほしいものです。この「思います」の言葉をいかに変えて行くかが課題です。
イエス様は「あなたがたは地の塩である」と言われました。また「人々に踏みつけられるだけである」とも言われています。きちんと言いきっておられます。地の塩だと思うのでなく、地の塩だと言われる時、私達には力が与えられます。イエス様が地の塩だと認めて下さっているということなのです。そのことに感謝して、地の塩としての生き方をしていきましょう。
<本日音声朝礼は広島に出張中のためお休みです。>