今年の受難主日の礼拝は、熊本にある大江教会で奉仕をしています。6月1日から赴任ですが、自分から申しださせていただき、説教に呼んでいただきました。大江教会での最初の奉仕が、この受難主日ということで、私にとって大変意味のある日となりました。
3月31日をもって、東日本大震災救援活動を一区切りしました。ルーテル教会救援としては更に2年の活動をいたします。しかし、本部の意向により派遣牧師の伊藤文雄先生と私は一区切りを命じられました。4月からは新しい牧師が派遣されました。緊急救援にはじまり、避難所での支援、さらに仮設支援へと道筋はできました。まだたくさんやることは残っていますが、新しい派遣牧師に引き継ぐことでさらに支援活動が深められていくことを祈ります。
この1年の支援活動を振り返ると「イエス様はどこにおられるのだろう」と毎日問うてきました。この大災害の中でどこにおられたか。被災者の方々と出会い、ともに苦しみ悩むときつねに「イエス様はどこに」と言う声が自分の中で聞こえてきました。何度も何度も涙を流して毎日自分の信仰に問うていたように思います。なぜ神様がおられるのなら。この痛み苦しみと共におられないというのか。嘆き悲しみ訴えてきた1年でした。
あるとき、小学校の娘さんを津波で流されたお母さんが言われました。「神様がいなければ、娘は救われない」。深くて重いことばでした。その言葉でイエス様がどこにおられたか、みえてきました。十字架におかかりになったまま、津波に流されていかれるイエス様が私に「ここにいる」と言われたのです。被災者の方々の深い苦しみ痛みを知り慰めを与えることができるのは、イエス・キリストのみであると。