マタイ 13:44 天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。
イエス様は「天の国のたとえ」を3つ語られました。イエス様の時代には、人々は宝を壺に入れ土の中に隠しておいたようです。そこがもっとも安全で、よい隠し場所でした。ところが持ち主が天に召されたりすると、その畑を買った人がおもいがけない宝に喜ぶという話です。天の国は見つけた人が大喜びする宝であると教えられました。しかし天の国をみつけた喜びをどう用いるかも課題と言えます。
イソップの物語に「けちんぼう」というのがあります。「けちんぼうの人が持ち物をすっかり金と取り替えて、その塊を手に入れました。そして、壁の下に埋めておいて、始終やってきてはながめていました。近所に住んでいる一人の職人が、けちんぼうが行ったり来たりしているのに目をつけて、本当のことを見抜き、けちんぼうが行ってしまってから、金の塊をとっていきました。けちんぼうがやってきてみると、そこがからっぽになっているので、髪をかきむしって泣いていました。こうしてけちんぼうがひどく悲しんでいるのをみて、そのわけを聞いた人がいいました。『悲しみなさるな。石をひろってきて同じところへお埋めなさい。金が埋まっていると思えばいいでしょう。金があったときでも、あなたは使わずにいたのだから』使わなければ、どんないいものを持っていても、なんにもなりません」。
今週は、第25回教会総会が行われます。私たちの教会にも宝がたくさんあります。それを見つけ出し、用いることができるでしょうか。この時代の中にあって、ルーテル教会の宝をみんなで共有する総会であってほしいと思います。
<音声朝礼は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>