2コリント 9:6 惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。
パウロはコリントの信徒たちに、エルサレムの信徒のための献金再開をお願いする手紙を書いています。そのなかで「施しも多ければ、報いも大きい」と訴えています。人々が献金(奉仕)に参加することは、神様からいただいた福音に対して従順に応える具体的な行為です。パウロは「惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊か」という格言をのべて奉仕に参加するように教えています。
いま全国から牧師が集い「全国教師会」が行われています。2年に1度の総会です。この2年間に何をやってきたかという報告を聞いています。また今日は、その中で見つけた課題をこれからどうするかが協議されます。報告を聞きながら、この2年間はあまり活動がなかったように思えました。今日から「第25回教会総会」が行われます。報告はどのようにう受け止められるでしょうか。何を報告するかで、何をしてきたかがわかります。実りおおい報告ならば、それだけの種をまいてきたのです。「これも課題、あれも課題、それも課題」という報告でなければいいと願います。
パウロは「惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです」と教えています。豊かに種を蒔いてきたことの証しは、豊かに刈り取ることができるということです。逆に、少ししか種を蒔かなかったものは、その刈り入れの少なさで証明されるといいます。総会の報告で大切なことは、何を蒔きどれだけ刈り取ったかだと思います。課題だけを報告する総会にならないように祈ります。
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