フィリピ 4:10 あなたがたがわたしへの心遣いを、ついにまた表してくれたことを、わたしは主において非常に喜びました。
フィリピの信徒への手紙は、パウロが教会からの贈り物にたいする感謝の言葉をしたためた手紙です。この中で「心遣い」ということばがあります。聖書の中に「心遣い」という言葉はあまりありません。もしかするとこの箇所だけかもしれません。この「心遣い」とは何を意味するのでしょうか。パウロは「あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました」といいます。苦難を共にしてくれたということに対して「心遣い」と言っています。本当に苦しい時、共にいて、共にその痛みを負ってくれたことを「心遣い」と言っています。
テレビで葬儀屋さんの特集をしていました。その中で、ある社長さんの言葉に感銘を受けました。その言葉は「結婚式に必要なものは気遣いでよい。しかし、葬儀に必要なものは心遣いです」というものです。この「気遣い」と「心遣い」の違いが私たちにはわかっているかと問われているようでした。その葬儀屋さんの映像をみていると、出棺のとき喪主の奥様に一つの紙袋を渡していました。その中にはおにぎりが3個と「お疲れがでませんように」と手紙が添えてありました。「心遣い」とはこのようなものかと心を打たれました。わたしたちの教会も「心遣い」を大切にしていきたいと思います。教会生活の中でおこる出来事の中に、ぜひ「主にある心遣い」を持ちたいと願います。
パウロは苦難を共にしてくれたことを「心遣い」といいました。その人と共に歩むとき、その苦しみを共に受け取ることで「心遣い」ができるのです。そのようなホスピタリティを教会はもとめられています。それができる教会にあるために、今日も御言葉を聞き、祈り、仕えてまいりましょう。
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